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この一年 〜1989年〜

<合唱団ふきのとう 1989/6 機関紙>


 私が、北海道から上京し、5年間勤務したレーモンド設計事務所を辞めたのが、88年の4月末。辞めた理由はいろいろあったが、やはり、未知の西欧の古い建築を見たいというのが、その主なものであった。

 5月14日に合唱団ふきのとうの定期演奏会があり、これには、練習を重ねて来たので出演したいし、総会が6月5日にあり、運営委員長として、これはちょっと抜けられないと言うことで、旅に出たのは6月7日であった。

 旅の資金は、5年間ためた財形貯蓄を下ろして作ったが、当初からヨーロッパ旅行に使うつもりのものであった。私は妻との付き合いより、財形との付き合いの方が長かったので、旅行に一人で出掛けるのに違和感を持っていなかったから、出発の前日になって、妻の目に涙がたまっているのを見て辟易した。

 ローマから始めた旅は、最初の40日間でイタリアの、次の40日間でフランスの田舎とスペインの古建築を尋ね歩くことによって過ぎていった。

 移動の列車の中やプラットフォームで、一人、静かに、自分の過去に思いをめぐらしたのもその頃である。

 獲物は、日に一つか二つ。見たい建物はだいたい辺鄙な所にある。電車からバスに乗り換え、3〜4km歩いてようやく建物が現われるという事もまれではない。

 まずは外に立って写真を撮り、スケッチをする。それから内部に進み、静かに座って感じ取る。 それでも、良い獲物に当たる事は希で、たまに出くわした日の晩飯は豪勢であった。

 8月28日に妻とパリで落ち合う。ローマに着いてすぐに呼んだのだが、看護婦をしていると休みを取るにも時間がかかるらしい。

 それから1ヶ月間は、二人で西独・オーストリアと廻り、ローマから妻を送り帰し、アテネに向かった。

 日本に帰国した私は、神社仏閣や民家を見るために、間を置かずに旅立った。もう10月も半ばを過ぎており、これからは寒くなる季節であるから、東北から南下するコースを取った。

 大阪に来て、以前の事務所の先輩と杯を酌み交わしていると、仕事を手伝ってくれないかと言う。彼氏には恩も感じていたし、奈良や京都の寺もじっくり見れるという頭も働き、すぐにO.K.した。それは師走だったので、正月からという事で、一旦東京に引き返した。

仕事はなかなかおもしろいが、T.V.も電話もないがらんとした部屋では、本を読んで、空きビンをスケッチして、手紙を書いても、まだ時間が余る。2〜3ヶ月しか居ないのに合唱団に入る訳にも行くまい。

そうこうするうちに仕事が1ヶ月延びた。私は梅田の紀伊国屋で音友を開いた。 コードリベットコール

 やがて4月も終わりを告げた。コードリとの別れは合宿であった。長く練習して来た団員にとっては、とても成果のあった合宿。私にとては、この一年を締め括る、旅の終わりの あるいは 始まりの合宿。



◆追伸;
 1989年5月5日。昨夕のコードリの春合宿の打上げの酒も覚めやらぬ頭で、朝7時50分の新大阪発東京行の新幹線に乗車した。 ウォーキングシューズに白いジャンパー、大きなリュックサック、磁石をポケットに入れて、旅装束である。

 5月6日。復団最初のふきのとうの練習。この一年、何事もなかったかの様に過ぎていく時間と、唱う仲間達が居た。





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