過去のコラム
子育てと看護婦と私(1999.11)
<荒木 佳子> 子育てをしながらの看護婦生活ももう8年目。看護婦になったばかりの頃、何がなんでも働き続けるぞと思っていたわけではなかった。しかし、結婚した時も、子供ができた時も、とても自然に働き続けることを前提に物事を考えていた。働き続けるために家庭を犠牲にするとも思わなかったし、仕事をいいかげんにしようとも思わなかった。看護婦というとても魅力ある仕事を続けつつ、女性として結婚、出産、育児を体験したい・・・そんなよくばりな私だった。
振り返ってみると、すべてがスムーズだったとは言えない。毎日が戦争で、ジレンマで、でも楽しくて、自分が生きていることが実感できる。飛ぶように毎日が過ぎ、子供達もほとんどが保育園での生活だったかもしれないけれど、母がいなくともたくましく育っていった。
朝、子供達の支度を整えあわただしく家を出る。聖母坂を登る頃、今日の仕事のことを考え始める。日中、仕事中は、申し訳ないけど子供のことはほとんど忘れている。夕方、聖母坂を下りながら、夕食はどうしようかな、に始まり、ああそういえば今朝家を出る時子供があんなことを言ってたなあ、彼はどんな一日を過ごしていただろうと思う。保育園にお迎えに行き、家に帰ると寝るまでが戦争。ワイワイにぎやかに時が過ぎ、仕事のことは全く忘れている。
こんなふうに切り換えがうまく行っているときは、看護婦を続けていることも、子供をもったこともすべて私にとってプラスでかえってくる。だが、子供が病気をしたり、精神面で母親の存在が必要と思われる時、それでも仕事は簡単に休めるものではないから、子供に対して申し訳ない思いにかられるし、仕事量を減らすべきかやめるべきかという問題にもなる
子供が小さかった時もだんだん成長してきている今も悩みはつきない。でも、外来で働く今、子育て経験のあるスタッフが回りに大勢いる心強さが、私を支えてくれている。家にいると大きかった悩みも、職場に出て皆に相談するとたわいもない悩みに思えたり、解決の糸口が見えたりするから不思議だ。
子供達が私に与えてくれるものも大きい。小さくともひとりの人間として無心に私を支えようとしてくれていることを感じることがある。
子供達がどんどん手を離れていった時のことを想像すると、身体は楽になるのだろうけれど、今のような楽しさはなくなるのかもしれない。今が華!今を満喫しよう!と思う今日この頃である。